デジタル大辞泉
「民進党」の意味・読み・例文・類語
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民進党
2016年3月に民主党と維新の党が合流して結党した。初代代表の岡田克也氏は同年7月の参院選敗北を受け辞任。後任の蓮舫氏も今年7月の東京都議選で惨敗後に辞任した。9月の代表選では、前原誠司氏が枝野幸男氏に勝利。前原氏は衆院解散を機に、小池百合子東京都知事が設立した希望の党との合流を決めたが、枝野氏らは離党して立憲民主党を結成。希望は衆院選で振るわず、前原氏は代表を辞任。10月31日の両院議員総会で後任に大塚耕平氏が無投票で選ばれた。
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民進党
みんしんとう
2016年(平成28)3月から2018年5月まで存在した日本の政党。母体は1996年(平成8)発足の民主党で、2009年から2012年に政権を担ったが、2012年12月の下野後も国政選挙で敗北し、2016年3月に維新の党や改革結集の会の一部などが合流して民進党に変更・発足した。しかし東京都知事の小池百合子(1952― )を中心とする希望の党との合流をめぐって、2017年10月に民進党と立憲民主党に分裂。さらに2018年5月、希望の党と合流して国民民主党となり、民進党は消滅した。政策的には専守防衛による平和主義、憲法第9条への自衛隊明記反対、長時間労働の規制、原発ゼロ実現などを掲げ、リベラル・中道左派色が強かった。ただリベラル派だけでなく、政権交代可能な二大政党をつくろうとする保守勢力も加わっており、政策的に一枚岩ではなかった。歴代代表は岡田克也(かつや)(1953― )、蓮舫(れんほう)(1967― )、前原誠司(1962― )、大塚耕平(1959― )。2018年5月時点で、所属国会議員は54人(衆議院12人、参議院42人)であった。
2009年から政権を担った民主党は2012年の衆院選で自由民主党・公明党に惨敗し、2013年参院選や2014年衆院選でも党勢を回復できなかった。このため2016年、民主党に元内閣官房副長官の松野頼久(1960― )を中心とする維新の党や、衆院議員であった村岡敏英(としひで)(1960― )らの改革結集の会の一部が加わって民進党を結党した。発足時の所属国会議員は156人(衆議院92人、参議院64人)。その後、離党者が相次ぎ、2017年の衆院選を控え、当時代表であった前原は事実上希望の党への合流を決めた。しかし小池が民進党出身議員を選別すると言明したため、民進党リベラル派を中心に立憲民主党が結党され、民進党は希望の党、立憲民主党、無所属の会に分裂。2018年5月には、民進党は希望の党と合併するため、党名を国民民主党に変更し、希望の党の大部分の議員が一時的に立ち上げた国民党と合流した。これにより、かつて野党第一党であった民進党は立憲民主党、国民民主党、希望の党、無所属の会などに分裂した。
[矢野 武 2018年10月19日]
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知恵蔵
「民進党」の解説
民進党
2016年3月に、民主党と維新の党が合流してつくる新党。党名の「民進党」は、公募や世論調査の結果から決まった。党名は「国民と共に歩む」という意味だという。合流の背景には両党の著しい退潮傾向がある。同年7月には参議院改選を控え、安倍総理は衆参同日選を狙っているともうわさされる。巨大化する与党勢力に対して、野党勢力が結集しなければ対抗しえないとする危機感を反映したものといわれる。両党の合流で、衆参両院で計150人規模の野党第1党となるが、400人を上回る自民党にははるかに及ばない。支持者離れが深刻な両党が、合流によってどれほどの効果を得られるか先行きが懸念されている。
民主党は09年8月の衆院選で308議席を獲得し圧勝、鳩山由紀夫が首相の座に就いたものの、政権担当能力を疑われるような失政が続き首相は菅直人に代わった。菅も東日本大震災や福島原発事故などを巡り対応能力を問われて降板。11年8月には野田佳彦が首相となるが、マニフェストにも存在しない消費増税を掲げるなどして、有力議員の離党が相次いだ。12年末には解散総選挙に臨むが、わずか57議席しか獲得できず大敗。民主党は現在も、衆参両院で自民党に次ぐ第2会派を形成してはいるが、与党時代の政策への強い失望や不信感などを払拭(ふっしょく)できていない。
維新の党は、代表の橋下徹が、民主党を離れた松野頼久らと共に「日本維新の会」として12年に設立。石原慎太郎らも加わり年末の衆院選では54議席を獲得した。14年には結いの党との合流を巡って争い石原らが分裂、橋下らは結いの党との合流後、維新の党を名乗ったが、14年末の衆院選では議席を増やせなかった。15年には橋下が目玉にしていた「大阪都構想」が住民投票で否決され、党内の不協和音が拡大。橋下も離脱し11月には「おおさか維新の会」ができるなど、終始一貫して離合集散を繰り返していた。おおさか維新の会とは主導権や手続きの有効性を争って、訴訟など内紛が続いたが、12月に維新の党を将来解党することをもって和解した。
主要野党のこうした状況の中、有権者各層の野党への期待感の喪失や執政能力への懐疑を背景として、与党は自公の強力な選挙協力などによって議席数を大幅に伸ばし勢力を巨大化させている。また、長期間かけて整合性や事実上の合意を形成してきた戦後民主主義を、ないがしろにするかのような安倍政権の方針や施策に対しても、内閣支持率は降下せず一定の支持を受けている。このままでは、政権奪還どころか埋没しかねないという危機感から、民主党岡田克也代表(合流前)は「野合で何が悪いんだという開き直りの気持ちもある」として野党結集を急いでいる。
ただし、維新の党の衆院議員には、かつて政策上の不一致から民主党を去った者が少なくない。新党構想は形式ばかりが先行し、いかなる政策を基軸とするのか具体像が明確でない。民主党政権瓦解の要因となった基本政策の齟齬(そご)や党内統治能力の欠如が改善された気配もないなどの声がある。
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民進党【みんしんとう】
台湾の政党。正称は民主進歩党。台湾人を主体とする。1986年,戒厳令(1987年解除)下で中国国民党以外に初めて認められて結成,同年の国会選挙で初議席を獲得。1991年の党大会で〈台湾独立〉を綱領に掲げた。1996年の総統直接選挙では独立運動の主唱者彭明敏を立てたが国民党の李登輝に敗れた。1998年の立法院選挙では70議席を獲得し,第二党。2000年3月の総統選挙では前台北市長の陳水扁を立てて,国民党の連戦副総統らを破り,2004年の総統選でも陳は連戦候補に僅差で勝利したが,2008年の総統選では国民党の馬英九候補に敗れた。2008年,初の女性党首として学者出身で清廉なイメージの蔡英文を選出,2012年の大統領選を現職の馬英九と争ったが再び敗退,政権奪還はならなかった。蔡英文は責任をとって辞任,蘇貞昌が党首に選出された。しかし2014年春,中台サービス協定締結に反対する学生たちの立法院占拠運動に民進党は存在感を示すことができず,蘇貞昌は辞意を表明,5月の主席選で再び蔡英文が主席となった。11月の統一地方選では台中市など直轄市市長選で勝利。現有6だった県市長ポストを13ポストにまで躍進させた。全体の得票率は国民党40.70%に対して,民進党が47.55%と,市民の支持は逆転し,蔡英文主席は2016年の総統選候補者の立場を確実にした。
→関連項目台湾|両岸関係
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民進党[日本]
みんしんとう[にほん]
日本の政党。2016年3月,維新の党が解党して民主党に合流,改称して発足した。他党からの加入者も含め,結党時,衆議院議員 96人,参議院議員 60人の計 156人で,野党第一党。党代表には,民主党代表の岡田克也が就任した。結党宣言では,民主党政権時に国民の信頼にこたえられなかった点を反省し,強い危機感と使命感をもって野党勢力を結集し,政権を担当できる政党をつくると強調。結党の際の政策合意では,政治が社会的弱者のためにあるとの基本的考えを示し,立憲主義の堅持や,多様性を認め合う格差の少ない寛容な社会の構築を掲げ,2015年に可決された安全保障法制(→有事法制)については,憲法違反など問題のある部分をすべて白紙化する方針を示した。しかし,憲法改正や脱原発,公務員制度改革などについては意見の相違があり,具体的な意見集約は事実上先送りされた。巨大与党の自由民主党に対抗するため,2016年7月の参議院議員通常選挙に向け,野党共闘態勢づくりを進めた。2016年9月,岡田代表の任期満了に伴って代表選挙が実施され,蓮舫が新代表に選出された。
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